江戸時代の南張村絵図と田曾村境目

浜島町史がB&G体育館に置かれていた。その中で写真製版された江戸時代の絵図そして古い写真も掲載されていた。少し興味深いことがあったのでここに記す。

江戸時代の南張村絵図

 

南は海で浜辺には松林があり、川は今と同じような流れ。西と書かれている部分を拡大すると・・・

紀州領田曾村境目 と書かれている

ネットで江戸時代の藩図を見てみるとわかるが紀州藩は和歌山はもとより伊勢地方まで含む広い範囲であった。南張村は鳥羽藩に属し隣村であっても藩が異なっていた。田曽村へは山道しかなかったようだ。

昭和初期の写真で南張では漁業が行われていたようだ

写真左下の物見台に人が見える。この辺りは田曽村との境ではないかと思う。

昭和10年ころ 南張前川風景

川筋が見えて今の風景に近い。圧倒的に浜辺が広く松林が見える。このような地形は隣の田曽白浜もそうであったようで地元史家の川口氏によると本人の幼少の頃と言っても戦後はまだ青松白砂状態だったとのこと。伊勢湾台風以後防災の目的で堤防工事が行われた為このような風情のある風景は無くなった。写真は割愛するが今は利用しなくなった南張地区と田曽地区の境にある断崖絶壁の通称「鳥越」道は昭和18から工事が行われ昭和20年完成した。戦争中でも工事していたようだ。今はトンネル道だが海沿いの道を作るのが当時の道路工事だったと思われる。トンネル付近の地形から判断すると絵図に山道とあるが海沿いの道だったのだろう。