正反対の位置にあり、神田明神に来る人には聖堂の白壁が道沿いに見えるだけ
です。
幕末の小説などでよく出てくる、「昌平坂学問所」があった場所です。もと
もと徳川幕府が儒学を奨励したので孔子廟(大成殿)を建てたのが始まりと
のことですが、幕末から明治にかけてこの学問所の果たした役割は大なるも
のがあったのです。
上の写真の見取り図の左下が正門です。左上奥の大成殿に至る道は斜面に
ある関係で坂道を上ることになります。JR御茶ノ水駅から神田明神に行こう
とするとこの聖堂が最初に見えるので初めて神田明神に参拝する人は間違え
るようです。
正門前で写真を撮っていたら神田明神はどこかと尋ねられました。なにせ
正門前は訪れる人まれでひっそりしてますからここではないと思うのでしょう。
孔子像
足元の木の根が時代を物語ってます。
学問の神さんということではこちらもそうですが・・・。湯島天神人多し。
霊験あらたかなのは、中国のでなく日本の神さんですかね。
end.