今は大島大橋ができたので本土とつながってますがその昔は、船が交通手段
だったのでこのような歌となったのでしょう。串本は江戸時代、関西から江戸に
酒、米などを運ぶ船の風待ちの港として栄えたようです。

ここに日本初の石造灯台ができたとあります。


確かに石積みですね。

難所だったのです。 昔の船は陸地を見ながら航行したのでこの位置は熊野灘
⇔紀伊水道を行き交う船の航路になっていること、そして沖には岩礁が多いこと
からまっさきに灯台がつくられたのです。 地形的に言えば潮岬は海底隆起型で
平坦な台地、大島は山が沈んでできた岬なので海へ急峻な落ち込みになって
ます。地図の外形からもそれが伺えます。
以下灯台展望台から

この時も沖合を大型船舶が行き交っていました。

尾鷲・新宮方面

潮岬方面
約120前にトルコ軍艦がこの沖で座礁して大勢の乗組員が犠牲になりま
約120前にトルコ軍艦がこの沖で座礁して大勢の乗組員が犠牲になりま
した。このとき樫野地区の人たちが総出で救助にあたったことが今に至るトルコ
国民の日本贔屓の始まりとなりました。遭難場所から多数の死者と遭難者の
移送が、急峻な地形のため困難を極めたようです。
最近公開のトルコ・日本合作映画「海難1890」がこの事件を扱ってます。
国民の日本贔屓の始まりとなりました。遭難場所から多数の死者と遭難者の
移送が、急峻な地形のため困難を極めたようです。
最近公開のトルコ・日本合作映画「海難1890」がこの事件を扱ってます。


軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑

