樫野埼(かしのさき)灯台・串本町

 「ここは串本、向かいは大島」と民謡にも謡われた大島にある樫野埼灯台へ。
今は大島大橋ができたので本土とつながってますがその昔は、船が交通手段
だったのでこのような歌となったのでしょう。串本は江戸時代、関西から江戸に
酒、米などを運ぶ船の風待ちの港として栄えたようです。

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慶応2年(1866)、白人国の脅しに屈した江戸幕府灯台を作ることになり
ここに日本初の石造灯台ができたとあります。
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いまでも現役です。

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確かに石積みですね。

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  本州最南端の潮岬よりは少し北に位置しますが、ここの沖は昔からの海の
難所だったのです。 昔の船は陸地を見ながら航行したのでこの位置は熊野灘
紀伊水道を行き交う船の航路になっていること、そして沖には岩礁が多いこと
からまっさきに灯台がつくられたのです。 地形的に言えば潮岬は海底隆起型で
平坦な台地、大島は山が沈んでできた岬なので海へ急峻な落ち込みになって
ます。地図の外形からもそれが伺えます。

以下灯台展望台から
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この時も沖合を大型船舶が行き交っていました。

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黒潮本流が一番近い場所でもあります。

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尾鷲・新宮方面

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潮岬方面

約120前にトルコ軍艦がこの沖で座礁して大勢の乗組員が犠牲になりま
した。このとき樫野地区の人たちが総出で救助にあたったことが今に至るトルコ
国民の日本贔屓の始まりとなりました。遭難場所から多数の死者と遭難者の
移送が、急峻な地形のため困難を極めたようです。
 最近公開のトルコ・日本合作映画「海難1890」がこの事件を扱ってます。

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樫野埼灯台と近代トルコ建国の父アタチュルク像

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軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑
 
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灯台手前から慰霊碑を望む
慰霊碑の下は絶壁の磯場です。もちろん灯台下も。

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駐車場から灯台に至る道はこのように整備されています

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灯台へは駐車場から徒歩で5~7分ほどの距離です。途中にはトルコ記念館、
トルコ民芸品の売店などあります。トルコ名物の伸びるアイスクリームも販売
しておりここに来るとトルコへ行った気分になります。この日は平日でしたので
訪れる人少なし。

End.