液晶テレビの光源

2010年製造の20型液晶テレビを分解した。液晶テレビのバックライトには冷陰極管が使われていた。(写真上。実際は画面上下に配置される。)

液晶(偏光板含む)と光拡散板群

今の液晶バックライトはLEDが主流で冷陰極管はその役目を終えた。青色LEDが大量生産されて安価となり液晶のバックライトに使用されるまではこれが主役。冷陰極管は家庭で使われる蛍光管(これも無くなりつつあるが・・)とは違い高電圧で動作し光輝度が得られるのでバックライトには都合が良かった。液晶テレビの黎明期には画面から目に入る光の量は、発光したものを100とすると昔の消費税率くらいの効率しかなかった。理由は写真にもあるような拡散板を何枚か使い画面全体に均一に光を拡散させるため。更には偏光板で減少する。

冷陰極管(ホルダーから取出した状態) 直径2ミリメートルのガラス管、長さ約50センチメートル 管の左は高圧電線

冷陰極管と収納カバー

冷陰極管端子部拡大

古くなったので家庭の蛍光管のように端子部が黒っぽくなっている。

直径6ミリメートルのアクリル板

アクリル板は反射板と共に最後部に配置される。写真のように不透明な小さな遮光部分を配置し、しかもその隙間が不均一。上下にある光源を平均化する工夫。先人の涙ぐましい努力を垣間見ることができる。アクリル板は6ミリメートルでも結構重い。この前面に4枚の均一な不透明の拡散板が配置される。

偏光板を含む液晶自体は薄いガラス板で形成されているが6ミリメートルのアクリル板よりは軽い。

液晶は自家発光でないため、光源が要る。最近はLED,ミニLED、量子ドット等、液晶の直下に配置される光源が主流となっているため拡散板群は少なくなり光効率も格段に向上している。このおかげで液晶TVの輝度は向上した。

初めてのマンスリーマンション

一度体験してみようかと思っていたものです。ネット社会は凄まじいものがあります。ここ川崎市に来るのにリアル切符、いわゆる駅では購入していません。近鉄乗車券は安価なヤフオクで。近鉄特急券は当日ネットで座席指定だけ。(春にネット購入したとき車両間違いしましたが係員が来て指摘受けました。間違いない時は何も言ってきません。)新横浜駅までの、のぞみ、これもスマホで自由席購入。在来線での移動はPASMOという交通系カード使用。前後しますが、新幹線への移動はPASMOと連携しているので新幹線乗車口でPASMOカードをかざすと自由席切符が発券されます。夏休み始まりましたが新幹線まだ混雑していません。さらに、このマンションもネット契約です。部屋のキーとマンションのエントリーキーのデジタル情報はメールで入手しました。

閑話休題

台所 IH対応

調理するには狭い。

フライパン、鍋など

備品 箸、スプーン、皿、どんぶりなど。

少し狭いけど懐かしいバス、トイレユニット

電子レンジ、冷蔵庫

洗濯機 ただし、洗剤無し

見ての通り

下足箱 大きすぎる

               玄関から見た部屋

 

キッチン、バストイレの清掃用洗剤とスポンジブラシは完備、布巾あり。掃除機あり。バスタオル、フェイスタオルあり。石鹸、シャンプーなどは無し。調味料などは無し。長期滞在にはある程度のものは揃っています。明日は、米買ってきてご飯炊くつもりです。追加です。WIFI完備。

江戸時代の南張村絵図と田曾村境目

浜島町史がB&G体育館に置かれていた。その中で写真製版された江戸時代の絵図そして古い写真も掲載されていた。少し興味深いことがあったのでここに記す。

江戸時代の南張村絵図

 

南は海で浜辺には松林があり、川は今と同じような流れ。西と書かれている部分を拡大すると・・・

紀州領田曾村境目 と書かれている

ネットで江戸時代の藩図を見てみるとわかるが紀州藩は和歌山はもとより伊勢地方まで含む広い範囲であった。南張村は鳥羽藩に属し隣村であっても藩が異なっていた。田曽村へは山道しかなかったようだ。

昭和初期の写真で南張では漁業が行われていたようだ

写真左下の物見台に人が見える。この辺りは田曽村との境ではないかと思う。

昭和10年ころ 南張前川風景

川筋が見えて今の風景に近い。圧倒的に浜辺が広く松林が見える。このような地形は隣の田曽白浜もそうであったようで地元史家の川口氏によると本人の幼少の頃と言っても戦後はまだ青松白砂状態だったとのこと。伊勢湾台風以後防災の目的で堤防工事が行われた為このような風情のある風景は無くなった。写真は割愛するが今は利用しなくなった南張地区と田曽地区の境にある断崖絶壁の通称「鳥越」道は昭和18から工事が行われ昭和20年完成した。戦争中でも工事していたようだ。今はトンネル道だが海沿いの道を作るのが当時の道路工事だったと思われる。トンネル付近の地形から判断すると絵図に山道とあるが海沿いの道だったのだろう。 

浜木綿(はまゆう)咲く 2024

6月下旬にはほとんどが咲き乱れますが今年は例年より開花が遅いようです。

群落を構成せず浜辺のあちこちに株が散っています。子孫を残す自然の知恵です。夏の浜辺に咲く白い曼珠沙華のようです。

私がこちらにきた約10年前は浜木綿は見当たりませんでした。その後、浜木綿の株が流れ着き増えたようです。一時、パラシュート落下地点として浜が整備された時期消滅したと思いましたが根付いていたものが再生し今に至っています。

旧路線バス路にある断崖絶壁の通称・鳥超え・の磯場から

梅雨の合間のすっきりと晴れない蒸し暑い昨日でした。

ジクソーパズルのフレーム(枠)製作

ジクソーパズの完成後枠に入れようとするとジクソーパズル自体よりも枠の値段が倍近くする。1000ピースだと3000円以上。そこでDIYすることに。

   3ミリ厚のベニア板上に1000ピースの完成したジクソーパズル

枠材料になるものをコメリで発見!

塩ビ枠材 二本で370円 木材と塩ビとの親和性のいい接着剤⇓

接着サンプル 接着剤は透明で粘度が低いので取り扱いに注意

   ジクソーパズルを木工用ボンドでベニアに貼り付けて枠を取り付けて完成

            壁面に取り付けた状態⇓

 

          

         吊り金具と枠受け材料はダイソーで調達

ジクソーパズルのタイトルは「展望花畑 四季彩の丘」 北海道美瑛町

以下はWebより借用

湯治の宿 双葉荘 (大分県・別府市)

日本家屋の冬の寒さを避けるための場所探しをしていたらNHKのお昼の番組で空き家を利用した湯治型宿泊施設をビジネスとして立ち上げた女性が紹介されていた。これは比較的若者向けだったのでパス。場所は別府だった。同じ別府でも鉄輪(かんなわ)温泉の宿の紹介ページからいいと思ったのが双葉荘。2月1日から4泊5日で行ってみた。

   正面が双葉荘。裏側にも建屋あり。すぐ前に別府駅行の路線バス停あって便利。

部屋から見たバス停



地獄原(じごくばる)という停留所で赤い矢印位置が双葉荘 

 修学旅行や観光旅行で有名な地獄めぐりコースが坂上にある。

坂の入り口に双葉荘がある

部屋の内部に用意された自炊用の道具

いかにも使い込まれたもので宿の歴史を感じさせる。今回は短期滞在だったのでご飯を地獄窯で炊けなかったのは残念。

全体は古い建屋だが畳が綺麗だった

薬師如来が祀ってある浴場 大人二人がゆったりはいれる 誰でも貸し切りで利用できる。

結構熱かった。これとは別に大きな男女別の風呂場もある。

自炊用の地獄窯 100度以上の蒸気が出ているので注意がいる。

野菜類は数分で茹で上がる

そのまま食しても美味しい。

半茹で卵はこの通り 美味かった

芋は半時間くらいかかる

自家源泉 これを取り巻くように貸し間が配置されている

常時このように湧き出ている

地獄窯の熱を利用した飲用のお湯釜もある。

夜景



宿の形態は「貸し間」で接客サービスなし。食事はDIY。食材を近くのスーパーマーケットで調達し地獄窯や調理場で行う。共用の大型冷蔵庫、食器類、調味料、ガスコンロ、トースターなど完備されており長期滞在するのに十分な環境が整っている。なぜか電子レンジがなかった。室内はエアコンでない暖房機があり(多分温泉の熱を利用)やさしい熱風が送風機から出ていた。洗濯機は100円で洗剤付きで利用できるし乾燥用の専用部屋がある。長期滞在するなら部屋着orパジャマは要る。地獄めぐりした昼間の外気温は寒かったが温泉地なのか朝の冷え込みはなかった。館内暖房はないが風呂場に行く時は半袖Tシャツ一枚でも寒くない程度。これも源泉のおかげだろう。ネット予約は不可。電話のみ。女将さん一人で切り盛りしているようだ。ゆっくりと時を過ごすにはいいところ。

ここを訪れる有名人も多くサイン色紙多数あり、昨年末にはNHKが取材に来ていたようだ。温泉は朝五時から夜十時までいつでも利用可能。

 

「鉄輪で 地獄三昧 冬の旅」

「源泉で まったり湯あみ 京女」

「湯煙の 中でほうばる 蒸し卵」

久々の台湾茶

仕事で台湾に何度か行き来した折、自分用に 有名な高山茶を専用の茶器と共に買って来て嗜んだ。台湾茶は茶の淹れ方からして独特である。又、香り、味わいも紅茶や日本茶とも違う。

今回は高山茶ではなくティーバックだが味は変わらない。

 

色は一見紅茶のよう。紅茶は主に香りを楽しむが台湾茶は香りと味わいがある。どちらかというと日本茶に近い。

天仁茶業と言う会社。会社のある新竹市は仕事で行った場所。懐かしい。ここは台湾のシリコンバレーと言われ、半導体大手のTSMCもここにある。