佃橋界隈

江戸時代の創世時期、家康が隅田川の三角州に大阪から漁師を移住させたのが地名
の由来。現在でも西淀川区(淀川のそば)に佃と言う地名がありますからこの話は嘘でないと思います。 佃煮の名前由来もその通りで、今でも昔ながらの作り方でやってるようです。有名どころは「天安」。 石川島播磨の造船地跡に超高層の億ションが数塔できてからでも昔ながらの地区は頑固に残ってます。

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佃地区 (写真手前の低層地区。もう少し右に天安の看板があります。)

左端の櫓みたいなところから水路があり、すぐに「住吉神社」が祭られてます。関東で「なぜ住吉さんだ」と関西人は言うかも知れませんがこれは前述の佃の漁師が持ってきたもの。二年に一度か三年に一度だったか真夏に大祭があり、月島地区含めて氏子が神輿を担いで練り歩きます。大都会の田舎のようで、祭りには地元出身の方々が舞い戻ってくるそうです。 この地には昨年亡くなられた、小野田さんの「小野田自然塾」の事務所があったことをこの地を離れてから知りました。

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佃大橋から隅田川上流を望む
白い橋脚は中央大橋。わずかにスカイツリーが見えます。

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佃大橋
東京マラソンで利用されますが写真取ったこのときでも走れそうなくらい車少なし。土曜の
朝です。
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佃大橋から勝鬨橋を望む

佃地区もそうですが月島から豊海にかけてこの20年くらいに高層マンションが雨後の竹の子みたいに建ちました。 私が来た当時は右にある聖路加タワーが出来つつあったくらいの寂しいウォーターフロントでした。

end.