「奥の細道」むすびの地 大垣

改装し終えた地元の図書館に4月末ふらりと立ち寄り、「ぶらタモリ」ならぬ「ぶら図書」
したおり、ふと眼に入ったのが「奥の細道」の解説つきの文庫本。著者名は記録して
ないので紹介できませんが、機会があればと思っていたので読みました。中学の国語の
時間に誰しも読んだことがあると思います。冒頭の有名な文言「月日は百代の過客にして
云々」。 この本は紀行文でなく紀行の事実を踏まえた俳諧文学であることは解説からわ
かります。 それはともかく・・・。
 綾小路きみまろの「それから40年」ではないですが、年賀状の付き合いしかなかった
独身時代お世話になった大垣市在住の先輩を訪ねることになりました。 「偶然は必然」
と言う人もおりますが、この大垣訪問は必然だったのでしょうか? 少し復習することと
なりました。
 訪れた場所は、大垣駅から約1.5キロメートル南方向の船町界隈。
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 芭蕉像の前で、先輩(左)とアサギマダラ(右)
この場所の手前にイメージ 7記念の石柱とその右側にあるのが、
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船町とは粋な名前ですね。この石の後ろが水路(水門川)です。

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水門川

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本を読み終えるまで「蛤のふたみに別行く秋ぞ」が結びの句であることを知りませんでした。  <離れがたい蛤の蓋(ふた)と身が別れるように、自分はこの親しい人と別れて、伊勢(いせ)の二見が浦へ旅立つことだ>学研古語辞典より。
この年はお伊勢さんの遷宮年にあたり参拝するために旅立ったのです。
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ボランティアガイドさんの説明によると芭蕉は出発前からここ大垣を旅の最終目的地
にしていたとのこと。理由は、上の写真の解説にあるように大垣には俳友が多くおり、
パトロンの豪商もいたからとのこと。 豪商も俳人であったりしました。

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その昔、大垣は水上輸送の拠点として栄えた地だったようです。
 
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住吉灯台と水門川

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港というと現代人は海の港をイメージしますが、水路が物資輸送のハイウェーだったその昔は、海以外にも運河を含む川にも港があったのです。

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ボランティアガイドさんの受け売りですが、水路物資輸送の時、下流に行くときは流れに
任せれば楽ですが、上流に向うには人力で両側から綱で引っ張り上げたのです。
昼間はともかく夜には目標代わりに灯(あかり)を台の上に配置したとのこと。

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水門川に架かる橋。川幅はさほど広くありません。

春には両岸に咲く桜を愛でながら散策するのもいいでしょう。
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大垣市HPより借用)

芭蕉のように桑名までとはいかなくても揖斐川本流との合流地点までカヤックでゆったり
行くのも一興ですね。

川沿いの道を隔てて、
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奥の細道むすびの地記念館

ここでは奥の細道に関する資料展示と学芸員による説明、3D映像による解説が
あります。

end.