国司・北畠氏が8代に渡り居城を構えたとされる場所に末裔が神社を祀ったと
言われてます。 紅葉の名所としても知られてますが、遠かった。
この太鼓橋を渡って左方向には霧山と呼ばれる山城跡に行く道があります。
太鼓橋から右は田園風景
本殿
本殿左奥の方へ行くと
結構広い境内が続いています。本殿左奥の方へ行くと
写真の老婆が山の城含め、織田勢に焼かれてしまったと話してくれました。
左奥には館跡が発掘されたとの案内がありました。
見返り
境内で発掘調査された石垣などの遺構はそのままにして埋められたとのこと。
境内にある杉の巨木
市町村合併で一志郡美杉村は、津市美杉町になってしまいましたが昔の境内で発掘調査された石垣などの遺構はそのままにして埋められたとのこと。
境内にある杉の巨木
もみじの木が多く又、銀杏の巨木もあり紅葉の季節には彩り鮮やかな境内
になるでしょう。
****************************になるでしょう。
こんな山あいにその昔、何故、伊勢の国司館がと思われますがこの場所は
奈良や京都から伊勢に至る伊勢街道が通っていて往来が盛んな地であった
のです。昔は交通手段はもっぱら徒歩ですから場所が良ければどこでもよかった
のですね。北畠氏の支配権は結構広く私の居る南伊勢まで広がっていたようです。 まさに、「つわものどもが夢の跡」。 それにしても山又山の中です。
近くにある、道の駅「美杉」には切り出した木材が安価に販売されてました。奈良や京都から伊勢に至る伊勢街道が通っていて往来が盛んな地であった
のです。昔は交通手段はもっぱら徒歩ですから場所が良ければどこでもよかった
のですね。北畠氏の支配権は結構広く私の居る南伊勢まで広がっていたようです。 まさに、「つわものどもが夢の跡」。 それにしても山又山の中です。
呼び名のほうが歴史を忍ばせるように思います。
End.